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東京地方裁判所 昭和46年(ワ)8932号 判決

原告

木村男治

右訴訟代理人

今川一雄

外二名

被告

丸甲タクシー株式会社

被告

江守忠夫

右両名訴訟代理人

荒木和男

主文

一  被告らは各自原告に対し金五八万〇四五六円およびこれに対する被告丸甲タクシー株式会社は昭和四六年一〇月二〇日から、被告江守忠夫は同年一一月二三日から各完済まで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告のその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用は各自の負担とする。

四  この判決は第一項に限り仮りに執行することができる。

事実《省略》

理由

一請求原因第一項の事実(事故の発生)および同第二項(一)の事実(被告会社の責任原因)は、いずれも当事者間に争いがない。よつて被告会社は本件事故に基づく原告の受傷損害を賠償すべき責任がある。

二被告江守は本件事故についての過失を争い、被告らは本件事故につき原告にも過失があるとして過失相殺を主張するので、これらにつき判断する。

(一)  〈証拠〉を綜合すると。本件事故態様は次のように認められる。

本件事故現場は、渋谷方面から三軒茶屋方面に通ずる道路(以下甲道路という)と三宿方面から下馬方面に通ずる道路(以下乙道路という)とが略直角に交わる信号機の設置された交差点(後記角切りにより拡張された部分を含む)の中であり、四つの角にそれぞれ角切りがあり、各方面のその手前には横断歩道が設けられている。原告は乙道路を三宿方面から自転車に乗つて本件交差点に差しかかり、赤信号により横断歩道手前で一旦停止したが、その際乙道路の左側から交差点の三宿方面と渋谷方面との角にかけて道路工事中であつたため、センターライン寄りの位置に停止した。そして青信号に変つてから交差点を直進すべく発進して交差点に進入し、工事現場の外側線に沿つて左に廻り込み、交差点内の乙道路左側(渋谷寄り)延長線上付近もしくはそれよりやや左外側に外れているがなお角切り部分を含めた交差点内を進行し、後記のとおり停止していた加害車の直前を通過しようとしたところ、加害車が前進したため、後記のとおり加害車に衝突され、右真横に転倒した。

一方被告江守は加害車を運転して甲道路を渋谷方面から進行し本件交差点に差しかかり、停止信号に従い停止したが、その際交差点手前の横断歩道を超え、車体後部が一部横断歩道にかかる形で停止したため、その横断歩道上を横断する歩行者に車体後部を叩かれた。そこで加害車を若干前進させようとしたが、その際右側から進行してくる車両の有無を確認しないまま前進させたため、至近距離に接近していた原告自転車に気ずかず、加害車の前方に差しかかつた原告の左膝部に加害車の前バンパー右部分を衝突させ、よつて本件事故に至つた。

以上のとおり認められ、前掲証拠および甲第五号証中右認定に反する部分は採用しない(被告江守は、加害車を三ないし四〇糎前進させたうえ、ブレーキを踏んだ後に原告が衝突した旨供述するが、原告本人の供述と対比し、また自転車に乗つた原告の左膝付近に加害車前面が衝突し原告が右真横に倒れたという右衝突形態に照らし、採用できない。加害車が前進中に原告に衝突したものと認めるべきである。)し、他に右認定を左右するに足りる証拠はない。

(二)  右事実によれば、被告江守には、赤信号のときに加害車を交差点(角切りによる拡張部分を含む)に進入させるに当り、右方から進行してくる車両の確認を怠つた過失があり、この過失によつて本件事故を発生させたものというべきであるから、民法七〇九条により本件事故により生じた原告の損害を賠償する責任がある。

(三)  次に右事実により原告の過失の有無につき判断するのに青信号に従つて交差点を直進しようとする車両が、交差道路において停止信号により停止している車両の直前を通過することとなる場合において、当該進行車両の運転者には、具体的な危険が予測される特段の事情のない限り、停止車両が信号の変らないうちに発進することを予測して運転しなければならない注意義務はないものというべきであり、このことは、停止車両の車体後部が横断歩道上にかかるような形で停止している場合でも同様というべきである(停止車両運転者が横断歩道を横断する歩行者に促がされた結果、その前方を通過しようとする車両があるのに拘らず前進するかも知れないことまで予測すべき注意義務があるとはいえない。停止車両がやむをえず前進するときは、右方からの進行車の進行を妨げないことを十分確認すべきものであつて、この場合の接触回避のための注意義務は一方的に停止車両の方に課せられるといつてさしつかえない。)。もつとも、右認定のとおり、加害車が前進した距離は若干であるから、原告はその前方を通過するに当り加害車の直前に接近し過ぎたきらいがないではないし、原告がいま少し間隔をとるようにすれば、本件衝突は回避しえたと思われるが、右のとおり加害車の発進を予見すべき注意義務がないのであるから、右をもつて本件事故と因果関係ある過失ということはできない。また、原告は発進後工事現場の外側線に沿つて左に廻り込み、乙道路の左端延長線上付近もしくはそれより渋谷寄りに外れて進行したのであるが、もし右延長線外に外れていたとしても、角切り部分を含めるとまだ交差点の範囲内であるうえ、自転車に乗つて交差点を通過する場合には、交差点内で自動車の交通が輻湊することが多いため、安全を期して左側にふくらみながら進行することは応々にしてあることであつて、それ自体をもつて原告の過失とみることもできない。

以上の次第であるから、本件事故発生につき原告に過失があると認めることはできないものというべく、この点についての過失相殺の主張は採用できない。

三次に損害につき判断する。

〈証拠〉によると、原告は本件事故により左肩および左膝挫傷の傷害を受け、事故当日の昭和四四年一〇月一七日から同月二五日までの間六回友愛病院に通院し、これにより外見は治癒したので一旦治癒との診断を受けたこと、しかしその後も膝関節痛があつて、昭和四五年三月二日から同年七月一三日までの間菅外科医院に一二回、同年九月二九日から同年一〇月二八日まで昭和大学病院に八回各通院して治療を受けたが完治するに至らず、後遺症として外傷性および変形性左膝関節症を残したこと、その症状は、膝関節の運動領域に制限はなく、水平位の単純な歩行に支障はないが、高所や階段の昇降(特に下降)や中腰位を維持するに当り関節痛が著しいというもので、このため、右のような行動を要求されることの多い左官職としての仕事を遂行するには支障が著しいが、事務労働や短距離の歩行にはほとんど支障がないこと、右症状は回復の可能性がないこと、原告は大正一二年六月一九日生の男子であり、三〇年来左官職人として働いてきたものであること、原告には、事故前から、膝を酷使する右職業と年令的なものとからくる経年性の軽度の膝関節の退行性病変があつたがそれは単に潜在的なものにとどまつていたところ、本件事故による打撃が契機となつて(いわば引き金的役割をはたして)前記症状の発現となつたことがいずれも認められ、以上認定を左右するに足りる証拠はない。

被告らは、原告の右後遺症について、原告の治療上の不適切が損害を拡大させたとして過失相殺を主張するが、そのような事実を認めさせるに足りる証拠はない。たしかにその後遺症の程度に比し治療の程度は少いが、これは、右後遣症が右のとおり原告の退行性の体質を基盤とするものであることの性質上、至し方のないことと考えるべきである。

そこで右受傷による損害の数額につき考えることとする。

(一)  逸失利益

原本の存在につき当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、原告は、左官職人として事故当時年間五八万五〇〇〇円(月間四万八七五〇円)程度の収入を得ていたことが認められ、これに反する証拠はない。

(1)  しかるところ、原告が右受傷のため、事故翌日の昭和四四年一〇月一八日から和昭四五年四月未日までの六月一三日間少くともその五〇パーセントの収入を失い、一五万六八一二円の損害を受けたこと、そして被告会社は右損害額につき原告と合意し、その支払いを約したことは当事者間に争いがない。

(2)  次いで右以後の右受傷による稼働能力喪失損害につき考えるのに、本項(三項)冒頭に掲げた証拠に照らすと、原告の左膝関節の症状は、昭和四五年五月頃以降現在までほとんど変らないものと認められるから、抽象的な労働能力の喪失の程度においては、右以降将来の稼働期間を通じて同一に考えてよい。そして前認定の後遺症の部位・程度と鑑定嘱託の結果および原告本人の供述を綜合して考えると、原告が左官職人として稼働することを前提とすればその稼働能力喪失の程度は三五パーセント程度(鑑定嘱託の結果中回答書一の3項によれば喪失割合約二〇パーセントとされているが、これはその前の2項と対比して考えると、膝を余り曲げないで行なう作業を前提としての判断と考えるべきであり、左官職人としての仕事には当然に高所作業や膝を曲げたままで行なう作業が含まれるはずであるから、その仕事全般についてみれば、右二〇パーセントを超える稼働能力喪失を認める必要がある。)とみるべきであり、他の職業に転職した場合を考えれば、三〇年来左官職として勤めてきた原告の転職上の制約を考慮し、一四パーセント(後遺障害等級第一二級における一般的喪失割合)程度の稼働能力の喪失を認めるのが相当である。

そこで、転職に踏み切るまでの相当な心理的、物理的準備期間を考慮し、原告は昭和四五年五月一日当時満四六歳一〇月であつて、満六三歳に達する前までの右以降一六年間は稼働しうるものと認めるべきであるから、そのうち、当初の三年間につき三五パーセント、その後の一三年間につき一四パーセント程度の稼働能力喪失による損害を認めるのが相当である。

よつてライプニッツ式計算により年五分の中間利息を控除して、原告が現価計算の基準日とする昭和四五年一〇月二八日時の逸失利益現価を求めると、計数上約一二五万円となる(その推計根拠は別紙計算書のとおり)から、右金額をもつて右逸失利益の相当額と認める。

(3) ところで、前認定のとおり、原告の少なくとも右(2)の時期以降の症状については、原告の経年性の体質を基盤とし、本件事故による打撃が直接の契機になつてその発現をみ、かつ生涯固定することになつたのであるから、このような場合には、右症状に基づく損害の全部を事故による損害とすべきではなく、症状に対する両者の寄与の程度を勘案して、体質の寄与度を控除した限度において相当因果関係が存するものとして、その限度で加害者に賠償責任を負担させるべきものであり、前認定の事実に照らし、本件では右の(2)逸失利益損害のうち七割に当る八七万五〇〇〇円をもつて、本件事故と相当因果関係ある損害と認めるのが相当である。

(4)  よつて逸失利益損害の合計は一〇三万一八一二円となる。

(二)  慰藉料

前認定の原告の受傷の部位・程度、治療の程度、後遺症の程度、このため永年勤めてきた左官職からの転職を余儀なくされる可能性も大きいこと、および右後遺症については前示のとおり原告の体質的要因の寄与する部分が少なくないこと、その他諸般の事情を考慮し、原告の精神的苦痛を慰謝するのに五〇万円をもつてするのが相当と認める。

(三)  一部弁済

原告が本件損害賠償の一部として、被告会社および自賠責保険から合計一〇一万一三五六円を受領したことは当事者間に争いがない。

(四)  弁護士費用

以上により原告は被告ら各自に対し五二万〇四五六円を請求しうべきところ、被告らがその任意の支払いに応じないため、原告が原告訴訟代理人に訴訟追行を委任し、その費用として、原告主張の金額を負担したことは、弁論の全趣旨により肯認しうるところ、右認容額および本件訴訟の程度に照らし、このうち本件事故に基づく損害として被告らに請求しうべき金額は、六万円をもつて相当と認める。

四(結論)

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告ら各自に対し、金五八万〇四五六円とこれに対する訴状送達の翌日であること訴訟上明らかな、被告会社について昭和四六年一〇月二〇日から、被告江守について同年一一月二三日から、各完済まで、民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるから認容し、その余は失当として棄却すべく、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条、仮執行の宣言につき同法一九六条を各適用し、主文のとおり判決する。

(浜崎恭生)

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